2013年10月2日水曜日

愛知県岡崎市の地名に並ぶ六の数字

 最近気がついた。僕たちが居住する愛知県岡崎市に『数字の六』に因んだ地名が並んでいる。意味のあるなしは別として、とても面白いのでご紹介する。

 六に因む地名は、岡崎市の南西から北東に向かって一直線に並ぶ。

 南西端は、『六ツ美』。六ツ美は岡崎市の穀倉地帯で、田園風景が美しい。六ツ美という町名はないが、地区の小学校や中学校の名称から、その一帯が古くから六ツ美と呼ばれているのが確認できる。小学校だけでも西部小、北部小、南部小と広大な町域をもつ。

 六ツ美地区から北東へ進むと、『六名』。『むつな』と読む。六名が入った町名が名鉄東岡崎駅とJR岡崎駅の間に五つもある。六名本町、六名新町、六名東町、六名南、そして六名町。これまた六名地区と呼ぶべき広大なエリアだ。

 さらに北東に進むと、徳川家康の産土神として江戸幕府の手厚い保護を受けた『六所神社』。六所神社から乙川(おとがわ)の川向こうには『六地蔵』という小さな町がある。

 その次は『六供』。岡崎のほぼ中央部、名鉄東岡崎駅からちょうど真北に位置する古い市街地である。六供と書いて『ろっく』と読む。六供も広い町域を持つエリアである。

 六供からさらに北東方向に直線を延長させる。東名高速を越えた辺りに『抱六岩』という珍しい町名。『ほうろくがん』と読む。そして、岡崎を抜けて豊田市に入ったところで、『六所山』の文字。徳川家の始祖、松平家発祥の地である。

 つまり、六所山を北東端として、抱六岩~六供~六地蔵~六所神社~六名~六ツ美と、一直線に『六』が並んでいる。これが、岡崎の六並び。






 なぜ、岡崎に六の数字が並んでいるのか。単なる偶然の産物かもしれない。が、簡単に偶然の産物と片付けてしまっては面白くない。ここからは僕たちなりの想像力を膨らませての謎解きだ。

 ヒントは稲前(いなくま、いなさき)神社。抱六岩と六供地区の中間地点に位置する神社である。古くはその年一番の稲を刈り取って、まずは稲前神社の神倉に運び置き、のちに伊勢神宮に送ったという伝承がある。古来伊勢神宮は日本全体の鎮守として全国から崇敬され、神道の最高神であった。特に絶大な権力が朝廷にあった頃は、伊勢神宮が自ら直轄領を取り仕切っていた。岡崎の地も天神山と称えられており、伊勢神領に属していたらしい。つまり、僕たちのアイデアは『伊勢神宮』説だ。岡崎の六並びを南西に延長して海を越えたところに、ちょうど伊勢神宮が鎮座している。




 では、なぜ伊勢神宮の北東方向に六の数字か。想像力をさらに膨らませよう。六は古くから魔除けに用いられてきた数字とされる。六角形を基調とした籠目という文様がある。竹編みの籠の編み目を図案化したもので、魔除けとしてこの図形を用いる。六角形の亀甲模様も同じ意味で古くから使用する。六角形という形状はハニカム構造とも呼ばれる物理的に非常に強い特質を持つことから、敵から防御するという意味合いを自然と含んだのだろう。現在に残る痕跡としては、伊勢神宮周辺にある石灯籠に籠目印が刻まれているのが有名である。また伊勢神宮のお守りには、珍しい六角形の形状のものがある。北東の方角とは、悪しき者がやってくるという『鬼門』にあたる。岡崎は伊勢神宮からちょうど鬼門の方位だ。古代人が、伊勢神宮が岡崎を神聖な場所として直轄領とし、六という数字を配して鬼門を守ったのではないだろうか。

 ここまで辿り着いたら、想像ついでにあと一押し。岡崎市籠田町の籠田公園。六供のすぐ南西に位置するこの公園は岡崎のあらゆる祭り事が集中する都市公園。岡崎にとっては、「へそ」と言っても過言ではない重要なポイントだ。もし籠田の籠が、籠目の六を意味しているのなら、六の田んぼだ。さらにだめ押しするなら籠田公園のすぐ北東には亀井町がある。六角形が基調の亀甲模様。もし亀井の亀が六を意味しているのなら、六の井だ。田からは人が生きていくのに欠かせない米が生まれる。井からは人が生きていくのに欠かせない水が湧き出る。六という数字で大切な米と水を守ったということになる。

 事のついでに岡崎の六並びを北東方向に延長してみる。六にまつわる地名をあれやこれやと調べたところ、『六供』という地名が東北地方にまで一直線に並んでいることが分かった。『六供』で住所検索をかけると、愛知県岡崎市、長野県小諸市、群馬県前橋市、そして山形県寒河江市がヒットする。そして、他にはない。




 厳密な地図も測量機器もなかった時代に、古代人がこれだけの広大なエリアに六という数字を配置することができたのか、否か。長い年月の間に紛れ込んだ偶然もあるだろうが、もし自分たちの国土を守ろうとした先人たちの知恵の遺産が垣間見えているのであれば、有り難いことである。


©渡辺英治&児玉隆治,2012~2013



*追記(2014年5月12日)

六供とは字違いだが読みが同じ地名として、長野県松本市に六九町、愛知県名古屋市に六句町を確認。いずれも旧町名で、現在は痕跡だけがが残る。場所は下図参照。検証は続く。




*追記(2014年10月16日)
規則正しく並んでいるので、誰かが計画したように思える。が、ぞれぞれの地区がそれぞれの想いが繋がった結果と考えることもできる(自然発生説)。伊勢神宮の求心力を考えると十分あり得る話。さてさて。

*追記(2015年9月14日)
コメント欄に新しい知見や考察を展開しています。ぜひご覧ください。

*追記(2015年10月6日)
日置さんからの手紙を追加しました。
岡崎ビスタラインを追加しました。

*追記(2015年11月13日)
資料集を追加しました。

*追記(2016年6月29日)
地名推理の勧めを追加しました。

*追記(2016年9月14日)
伊勢神宮と岡崎との繋がりは強い。下図はGoogleMapで「神明宮」を検索したもので、神明宮が岡崎とその周辺に集中しているのが分かる(図をクリックすると拡大)。神明宮あるいは神明社は伊勢神宮内宮を本社にする神社だ。全国各地に拡がっているが、ここまで集中しているのはこの地域だけ(神明神社)。ちょうど六並びの海への入り口にあたる知多半島先端の神明宮が印象的。知多の神明宮では伊勢神宮御遷宮の際、御古材が下賜され20年ごとに遷宮が行われる。能見の神明宮は、元稲前神社と言われており、祇園祭風のお祭りが盛大に開催される(能見神明宮大祭)。ちなみに稲前神社が一番最初にあった場所は、現在の岡崎城の地と言われている。



*追記(2016年9月16日)
籠田町に関する日置さんの素晴らしいご考察です。
徳川家康だけじゃない(6)岡崎市籠田町の歴史秘話

*追記(2016年10月25日)
新しい歴史探究プロジェクトが進行中。
新歴史チャンネルhttp://sakamotowatanabe.blogspot.jp/

*追記(2017年12月1日)
六を日本に拡大した歴史本を鋭意作製中。短編エッセイ集になる予定です。

*追記(2017年12月1日)
六に関する日置さんの素晴らしいご考察です。
日本国の成立と数字の六(その1)
日本国の成立と数字の六(その2)
日本国の成立と数字の六(その3)


33 件のコメント:

  1. とても面白い発見ですね。私も地図を見ながら探して楽しんでいます。kanikama

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  2. コメントありがとうございます。地図にはいろんな秘密が隠されていて楽しいです。

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  3. こんにちは。「岡崎の六並び」に刺激を受け、私なりに三河の古代史を少し調べてみました。興味深いことに、古代より三河と伊勢とは海路などを介して、特に養蚕、機織り技術、稲、神殿のヒノキ、塩などでかなり活発な交流があったことを知りました。なんとこれらは古事記神話の内容や伊勢神宮中心の国内統治にとって当時重要な物ばかりですね。想像してしていた以上の三河と伊勢の深い関係、及びダイナミックな人・物資の交流があったことに改めて驚きました。それを考えると「岡崎の六並び」にはきっと何かの意味か関連があるのではと益々興味をそそられる次第です。kanikama

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    1. とても興味深い調査です。三河と伊勢との繋がりは古そうですね。三河は『古事記』には「三川」と表記されていたそうです(Wikipedia)。7世紀の出土木簡にもみな「三川国」と記されているそうです(同)。つまり国名の起源自体が『六』ではないかと推定しています。ますます意味があるのではないかと想像はつきません。

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  4. 近代におけるお話ですが、大正天皇の即位のための大嘗祭をおこなった際に、儀式に用いる新米を収穫するための土地として『六ツ美町』が選ばれたそうです。それを切っ掛けとして、六ツ美町ではいまでも悠紀斎田お田植えまつりが行われます。土地の選定は占いによる偶然と言われていますが、因縁めいた繋がりを感じさせる出来事です。調査を続けます。

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    1. 大嘗祭の情報ありがとうございます。面白そうなので私も少し調べてみました。斎田の選定には占いの儀式が最終的にあるとしても、大嘗祭を司る権力者達によって事前に絞る候補地選びが最も重要であったと思いますので、三河が選ばれたことはやはり偶然ではなく天皇家とそれなりの関係があったと思われます。さて、歴代の斎田の一覧(六ツ美民俗資料館HP)を見て驚きました。
      愛知県三河は、大正天皇以前にも古くから何度か悠紀斎田に選ばれているんですね。しかも各地の悠紀斎田に選ばれた回数を数えてみたら、ダントツは近江(滋賀県)。これは天皇の近くお膝元で納得。驚いたのはその他の地域で三河(愛知県)が4回で最も多い。伊勢(三重県)3回、美濃(岐阜県)3回、その他の地域は1~2回。これを見て、三河が天皇家と古代より深い関係があり、信頼が厚かった地域であることが再確認できました。 さて、稲作の始めの重要な時期は田植えの時期。三河の六ツ美斎田では六月に田植え式と記録にあります。三河地方では古くは古代米も含め田植えは六月からの様子。なんとここにも「六」が出てきましたね。「岡崎の六並び」との関係はいかに? 古代の人達は「六」のつく名にどんな想いと願いを重ねたのか。益々興味深いです。

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    2. 情報ありがとうございます。すごいです!回数は気がつきませんでした。とても有力な史実です。

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  5. こんにちは。このブログの記事は読めば読むほど興味深いです。私も六並びの意味について時々想像を膨らませて楽しんでいます。最近思いついたのですが、Watanabe様が見つけた東北に伸びる「六供の道」は、古代の伊勢から三河を経由して東北に伝わった「絹の道」、「塩の道」、「信仰の道」のような、今まで概略はわかっているが必ずしも明確ではない伝達路のひとつを示しているのではないでしょうか?もしもそうなら新しい知見が生まれそうで楽しいです。この推理はいかがでしょうか?

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    1. こんにちは。夢の広がるアイデアだと思います。神宮の影響力は現代人が考える以上の広がりがあったのかもしれません。三河から東北、あるいは東北から三河への「何らか」の伝達路を示していると考えると謎が解けるかもしれません。「何らか」が分かれば、面白い展開が期待できます。

      僕たちは逆に、古代の「六供の道」的な考え方は、全国津々浦々に広がっていたかもしれないとも推理しています(知っていたのは神官だけかもしれませんが)。その中で伊勢の北東に当たる土地の神官たちによって「自発的」に命名されていったという流れです。広義の意味での「信仰の道」です。

      いずれにしてもポイントは伊勢神宮との関係性です。

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  6. 伊勢神宮と岡崎の六並びとの関連性についての新しいヒント。

    伊勢神宮は20年毎に遷宮を行いますが、これには大量のヒノキが必要になります。このヒノキは最初は神宮林と呼ばれる伊勢神宮背後の山々から切り出されていましたが、すぐに枯渇したため、内宮用材は第35回式年遷宮から三河国に、外宮用材は第36回式年遷宮から美濃国に移ったとあります(神宮備林:Wikipedia)。神宮と三河の深い繋がりがここにもあります。

    また現在では神宮美林は長野県木曽郡と岐阜県中津川市にあるそうです。これまた両者とも見事に六供の道上に位置しています。

    さらに言えば、伊勢神宮遷宮の際には大量の古材がでることになりますが、これは廃棄されることなく、愛知県知多郡南知多町にある神明神社の遷宮に使用されるそうです。南知多町の神明神社は、ちょうど岡崎の六並びが海に出て行く直前に位置しています。

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  7. 岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里に行ってきました。大正期に実施された大嘗祭悠紀斎田の古跡地に、つい最近建設された歴史民俗資料館です。ここの資料を見ると「六ツ美」という名称はとても新しいことが分かりました。詳細はWikipediaの「六ツ美町」にありますが、明治39年に六つの村が統合して出来たそうです。「六つ」の村が「仲むつまじく」という意味だそうです。「仲むつまじく」という意味だったはずですが、なぜか今は六ツ美町は残っていません。というわけで、すくなくとも「六ツ美」は偶然の名称のようです。ネガティブデータですが、ここは一つ冷静に判断です。

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    1. 新しいからといって決めつけてはいけませんというご意見を多数頂きました。参考まで。

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  8. 岡崎に来て3年、やけに6がつく地名が多く気になってました。
    大変おもしろい記事で勉強になりました。
    ありがとうございます。

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    1. コメントありがとうございます!

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  9. 資料集のページを追加しました(タイトル下のタブ)。ここに参考資料を掲載していく予定です。

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  10. 渡辺様、興味深い推理ですね。篭田に住む天野と申します。篭は旅籠からと想像していましたが、江戸では籠田総門内の城内になり、由来が何かわからないままです。

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    1. 天野様 ご近所様からのコメント嬉しいです。籠田総門は籠田町にあったから籠田総門ということらしいですが、そもそもの由来が不明です。旅籠が多かったのは間違いないところですが。。。

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  11. こんにちは。米の語源、由来を調べていたら「籠める(こめる)」が由来の有力な説らしいです。コメは古代より改まった儀式の場でも用いられ、神聖なもの、生命力のようなものが「籠められたもの」といった意味から来ているようです。もしも籠田町の籠がこめを意味しているとしたら面白いですね。

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    1. 米の語源とはさすがです。米&田でしたらドンピシャです。

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  12. 六所山は 、「 ろくしょさん 」 と読みますが 、この読み方も



    歴史的には 、比較的新しいと聞いています 。

    この 、ことに関しては 、六所神社 ( 岡崎の「 東岡崎駅 」の近くでは

    ありません 。 豊田市 坂上町 「 宮口 」にある 県社 の 「六所神社

     」 ) の近くにすんでみえる人が 、詳しく知ってみえます 。

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    1. コメントありがとうございます。歴史の古い新しいは重要な情報です。もしよろしかったらご紹介ください。僕のメールはeijiあっとnibb.ac.jpです。よろしくお願いします(渡辺英治)。「あっと」のところを半角の@に変えてください。

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  13. とても面白い考察ですね!僕もちょっと参加させてください。
    >>岡崎は伊勢神宮からちょうど鬼門の方位だ。古代人が、伊勢神宮が岡崎を神聖な場所として直轄領とし、六という数字を配して鬼門を守ったのではないだろうか。

    逆の発想として、裏鬼門に当たる南西に最も神位の高い伊勢神宮を置くことにより、その地の霊的な加護を高めているのでは?と感じました。
    また、六供町はもう少し小さな規模で見てみると、岡崎城(竜城神社)の北東に位置しています。もしかしたら、これも鬼門線上の繋がりなのかもしれませんね。

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    1. 参加大歓迎です!

      逆転の発想いいですね。三河を主として伊勢を従とする発想は画期的です。新しい展開が期待できそうです。

      もうひとつの「小さな規模での鬼門」はたぶん「当たり」だと思います。六供町甲山にある甲山寺は「岡崎城の守護」のために創建されたそうです。
      http://okazakikeikan.boo-log.com/e80002.html


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    2. ちなみに
      家康関係ということでは、
      大樹寺と日光東照宮の風水関係というものもあるそうです。
      http://okazakikeikan.boo-log.com/e54994.html

      日光東照宮が表鬼門、伊勢神宮が裏鬼門。。。

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    3. おぉー!甲山時にそんな由来があったとは驚きです…!身近でもいろいろと知らないことだらけですね。

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  14. 東海テレビの取材を受けました。僕自身は恥ずかしくて視聴できていないのですが(7月12日放送)、見た人の話によるととてもきっちりと紹介して頂いたようです。東海テレビの皆様ありがとうございました。もしテレビを見て興味を持たれた方は、ぜひ岡崎を散策しに来て下さい。

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    1. みんなのニュース「行ってみたらこうだった」
      http://tokai-tv.com/ittemitara/2016/07/post-169.html

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  15. 岡崎を舞台とする市民映画の題材となりました。
    http://mainichi.jp/articles/20160914/ddl/k23/040/172000c
    今年度中に完成予定です。

    エキストラやスタッフを募集中です。
    http://www.okazaki-mv.link/

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    1. 読売新聞
      http://www.yomiuri.co.jp/local/aichi/news/20160914-OYTNT50296.html

      岡崎経済新聞
      http://okazaki.keizai.biz/headline/1312/

      毎日新聞
      http://mainichi.jp/articles/20160914/ddl/k23/040/172000c

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    2. NHK
      http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20160915/5433531.html

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    3. 朝日新聞
      http://digital.asahi.com/articles/ASJ9F6289J9FOBJB00L.html?rm=362

      中日新聞
      http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=397978&comment_sub_id=0&category_id=130&from=local&category_list=130

      マスメディアの皆様感謝です。

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    4. 六並びを題材にした映画の作製は諸事情に中止となりました。この場を借りて、映画を応援して下さった皆様、期待をしていただいた皆様にお詫びを申し上げます。

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  16. 歴史に関する考察を展開するために新たなブログを立ち上げました。
    http://sakamotowatanabe.blogspot.jp/
    このブログは坂本貴和子と渡辺英治の共著で、
    地名からだけではなく歴史的背景から深く仮説を考証していく予定です。

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