六に因む地名は、岡崎市の南西から北東に向かって一直線に並ぶ。
南西端は、『六ツ美』。六ツ美は岡崎市の穀倉地帯で、田園風景が美しい。六ツ美という町名はないが、地区の小学校や中学校の名称から、その一帯が古くから六ツ美と呼ばれているのが確認できる。小学校だけでも西部小、北部小、南部小と広大な町域をもつ。
六ツ美地区から北東へ進むと、『六名』。『むつな』と読む。六名が入った町名が名鉄東岡崎駅とJR岡崎駅の間に五つもある。六名本町、六名新町、六名東町、六名南、そして六名町。これまた六名地区と呼ぶべき広大なエリアだ。
さらに北東に進むと、徳川家康の産土神として江戸幕府の手厚い保護を受けた『六所神社』。六所神社から乙川(おとがわ)の川向こうには『六地蔵』という小さな町がある。
その次は『六供』。岡崎のほぼ中央部、名鉄東岡崎駅からちょうど真北に位置する古い市街地である。六供と書いて『ろっく』と読む。六供も広い町域を持つエリアである。
六供からさらに北東方向に直線を延長させる。東名高速を越えた辺りに『抱六岩』という珍しい町名。『ほうろくいわ』と読む。そして、岡崎を抜けて豊田市に入ったところで、『六所山』の文字。徳川家の始祖、松平家発祥の地である。
つまり、六所山を北東端として、抱六岩~六供~六地蔵~六所神社~六名~六ツ美と、一直線に『六』が並んでいる。これが、岡崎の六並び。
なぜ、岡崎に六の数字が並んでいるのか。単なる偶然の産物かもしれない。が、簡単に偶然の産物と片付けてしまっては面白くない。ここからは僕たちなりの想像力を膨らませての謎解きだ。
ヒントは稲前(いなくま、いなさき)神社。抱六岩と六供地区の中間地点に位置する神社である。古くはその年一番の稲を刈り取って、まずは稲前神社の神倉に運び置き、のちに伊勢神宮に送ったという伝承がある。古来伊勢神宮は日本全体の鎮守として全国から崇敬され、神道の最高神であった。特に絶大な権力が朝廷にあった頃は、伊勢神宮が自ら直轄領を取り仕切っていた。岡崎の地も天神山と称えられており、伊勢神領に属していたらしい。つまり、僕たちのアイデアは『伊勢神宮』説だ。岡崎の六並びを南西に延長して海を越えたところに、ちょうど伊勢神宮が鎮座している。
では、なぜ伊勢神宮の北東方向に六の数字か。想像力をさらに膨らませよう。六は古くから魔除けに用いられてきた数字とされる。六角形を基調とした籠目という文様がある。竹編みの籠の編み目を図案化したもので、魔除けとしてこの図形を用いる。六角形の亀甲模様も同じ意味で古くから使用する。六角形という形状はハニカム構造とも呼ばれる物理的に非常に強い特質を持つことから、敵から防御するという意味合いを自然と含んだのだろう。現在に残る痕跡としては、伊勢神宮周辺にある石灯籠に籠目印が刻まれているのが有名である。また伊勢神宮のお守りには、珍しい六角形の形状のものがある。北東の方角とは、悪しき者がやってくるという『鬼門』にあたる。岡崎は伊勢神宮からちょうど鬼門の方位だ。古代人が、伊勢神宮が岡崎を神聖な場所として直轄領とし、六という数字を配して鬼門を守ったのではないだろうか。
ここまで辿り着いたら、想像ついでにあと一押し。岡崎市籠田町の籠田公園。六供のすぐ南西に位置するこの公園は岡崎のあらゆる祭り事が集中する都市公園。岡崎にとっては、「へそ」と言っても過言ではない重要なポイントだ。もし籠田の籠が、籠目の六を意味しているのなら、六の田んぼだ。さらにだめ押しするなら籠田公園のすぐ北東には亀井町がある。六角形が基調の亀甲模様。もし亀井の亀が六を意味しているのなら、六の井だ。田からは人が生きていくのに欠かせない米が生まれる。井からは人が生きていくのに欠かせない水が湧き出る。六という数字で大切な米と水を守ったということになる。
事のついでに岡崎の六並びを北東方向に延長してみる。六にまつわる地名をあれやこれやと調べたところ、『六供』という地名が東北地方にまで一直線に並んでいることが分かった。『六供』で住所検索をかけると、愛知県岡崎市、長野県小諸市、群馬県前橋市、そして山形県寒河江市がヒットする。そして、他にはない。
厳密な地図も測量機器もなかった時代に、古代人がこれだけの広大なエリアに六という数字を配置することができたのか、否か。長い年月の間に紛れ込んだ偶然もあるだろうが、もし自分たちの国土を守ろうとした先人たちの知恵の遺産が垣間見えているのであれば、有り難いことである。
©渡辺英治&児玉隆治,2012~2013
*追記(2014年5月12日)
六供とは字違いだが読みが同じ地名として、長野県松本市に六九町、愛知県名古屋市に六句町を確認。いずれも旧町名で、現在は痕跡だけがが残る。場所は下図参照。検証は続く。
*追記(2014年10月16日)
規則正しく並んでいるので、誰かが計画したように思える。が、ぞれぞれの地区がそれぞれの想いが繋がった結果と考えることもできる(自然発生説)。伊勢神宮の求心力を考えると十分あり得る話。さてさて。
*追記(2015年9月14日)
コメント欄に新しい知見や考察を展開しています。ぜひご覧ください。
*追記(2015年10月6日)
日置さんからの手紙を追加しました。
岡崎ビスタラインを追加しました。
*追記(2015年11月13日)
資料集を追加しました。
*追記(2016年6月29日)
地名推理の勧めを追加しました。
*追記(2016年9月14日)
伊勢神宮と岡崎との繋がりは強い。下図はGoogleMapで「神明宮」を検索したもので、神明宮が岡崎とその周辺に集中しているのが分かる(図をクリックすると拡大)。神明宮あるいは神明社は伊勢神宮内宮を本社にする神社だ。全国各地に拡がっているが、ここまで集中しているのはこの地域だけ(神明神社)。ちょうど六並びの海への入り口にあたる知多半島先端の神明宮が印象的。知多の神明宮では伊勢神宮御遷宮の際、御古材が下賜され20年ごとに遷宮が行われる。能見の神明宮は、元稲前神社と言われており、祇園祭風のお祭りが盛大に開催される(能見神明宮大祭)。ちなみに稲前神社が一番最初にあった場所は、現在の岡崎城の地と言われている。
籠田町に関する日置さんの素晴らしいご考察です。
「徳川家康だけじゃない(6)岡崎市籠田町の歴史秘話」
*追記(2016年10月25日)
新しい歴史探究プロジェクトが進行中。
「新歴史チャンネル」http://sakamotowatanabe.blogspot.jp/
*追記(2017年12月1日)
六を日本全土に拡大した歴史本を鋭意作製中。短編エッセイ集になる予定です。
*追記(2017年12月1日)
六に関する日置さんの素晴らしいご考察です。
日本国の成立と数字の六(その1)
日本国の成立と数字の六(その2)
日本国の成立と数字の六(その3)
*追記(2018年2月17日)
ついに、六並びをベースにした歴史短編エッセイ集が完成しました!生理学研究所の坂本貴和子先生との共著となります。坂本先生の半端ない知識と文章力が最大限活かされた本です。新規に書き起こした図版多数掲載。4月半ば出版を目指して鋭意校正中。岡崎だけではなく、物語は全国を駆け巡ります。伊勢、出雲、熊野、諏訪、京都、そして岡崎。短編のラストを飾るのは、やはり岡崎の六並びです。お楽しみに!
本のタイトルは「ロマンで古代史は読み解けない」に決定しました。副題は「科学者が結ぶ、地図と陰陽」です。全国の書店、ネットショップで好評発売中。
https://sakamotowatanabe.blogspot.jp/p/blog-page.html
*追記(2018年5月10日)
「ロマンで古代史は読み解けない」の最終章「岡崎の六並び」は、ブログの内容とほぼ同じ内容です。しかし、ブログの文章は渡辺の手によるもの、「ロマンで古代史は読み解けない」の文章は坂本の手によるものです。内容も微妙に異なっています。その違いも楽しんでみてください!